G-ZCX6GN9S12 わたしの一級建築士合格ストーリー|まなび設計室

わたしの一級建築士合格ストーリー

ひなた

わたしは2023年に学科合格(製図試験スルー)、2024年に製図合格し一級建築士になりました

この記事は、わたしが一級建築士に一度挫折して、10年後に受かるまでの記録です

勉強法の解説ではなく、仕事や家族のトラブルの中でどう向き合ったかを正直に書きました

いま苦しい人が少しでも前を向けたら嬉しいです

一級建築士になったのは40歳

少し息抜きをしたい方、お時間のある方

ご興味があれば、読んでみてください

国家資格「一級建築士」という魔物との出会い

人生ではじめて向き合った(強制的に向き合わされた)のは社会人1年目でした

入社して、当時は夢と希望?に満ち溢れていたわたしは資格学校の申し込みをしたことがきっかけです

学生時代は、

一級建築士ってかっこいい!

自己肯定感爆あがり間違いなし!

なんて、呑気なことを考えていました

学生時代は勉強が本当に嫌いで、大学受験も正面から向き合うことができませんでしたが

入社当初は、モチベーションも高く、絶対に一級建築士になってやる!

と息巻いていました

資格をとらせたい!

という会社の思惑にもハマり、10年ローン(無利子)で某資格学校に申し込みを決めました

ここから人生を狂わすほどの力を持つ魔物との長い戦いが始まります

挫折 〜仕事と勉強の両立の難しさ〜

わたしは現場監督として施工管理業務のため現場に配属されました

配属先は新入社員それぞれ別の現場に配属されるのですが、わたしはすぐに激務となりました

いわゆるハズレ現場への配属だったのです

所長は一日中現場に出ない

次席は、2週間くらい来なくなって音信不通になる

そんな現場で、通勤時間を含めると6時〜23時が定時でした

(ちなみに近くの現場に配属された同期は、7時〜19時という環境でした)

そんな状況が続き、1ヶ月足らずで資格学校へ行かなくなります

気持ちが冷めるのは一瞬でした

1現場終えるころには、ローンは残っていましたが資格学校への通学は辞めました

時は経ち、もう1度頑張ってみようと社会人6年目に独学で全力を出しました

結果

学科試験合計80点。法規は足切り

自分には到底受かるような試験ではない

わたしは、一級建築士の道を諦めることにしました

10年越しのリベンジを決意

リベンジを決意したのは、2人目の子どもが生まれた時です

寝る前にふと

「このままの人生で悔いは残らない…?」

「子どもたちに誇れる人生だと、胸を張って言えるか…?」

という、猛烈な不安に駆られました

当時、38歳でした

後悔しない人生を送るため、もう一度だけチャレンジしてみる

と決意します

家族の時間を犠牲にするのは最低限にする

というルールのもと、2022年学科試験日の翌日から10年ぶりの勉強を始めます

学科試験の苦難

1年間という長い期間、勉強を続けることは簡単なものではありませんでした

挫折した時は、激務と勉強の両立が立ちはだかり、

リベンジ時は、仕事、勉強に加えて家族の時間があります

勉強する時間は、通勤時、仕事終わり、日曜日の午前中2時間(家族ルール)

しかありません

それでも毎日コツコツ勉強を継続しました

試験3ヶ月前の4月に受けた初模試が70点代で絶望しましたが、

残り3ヶ月で得点は順調に伸びて、7月最後の模試では100点超えを達成しました

このままならいける!

油断せず勉強を続け、走り抜けてやる!

ところが、簡単には試験日を迎えられることはできません

学科試験1週間前に家族内クラスター

全員が発熱しました(感染症ではなかったのが救いでした)

なんでこのタイミングで?

正直に言うと、人や環境のせいにしたくなる感情が芽生えてしまいました

でも

この試験は言い訳をした人から脱落する

という信念は持ち合わせていましたので、今できることに全集中しました

(当時の自分よくやった)

試験日3日前に解熱し、試験当日を迎えることができました

試験時間は、時間が余れば何度も何度も問題を繰り返し解き続ける

迷った時は悔いの無い方の選択肢を選ぶ

そして自己採点の結果

98点

確実に受かったと思いました

忘れもしない、試験当日の20時

子どもたちとお祭りに行った帰り道

缶ビールは格別の味がしました

その日、わたしは一睡もすることができず、翌日会社へ出社しました

製図試験の苦難

学科合格後、当初の計画通り製図試験は1度スルーします

周りから(特に上司)は散々言われましたが、自分の意思で決めたことです

家族にはこれ以上、負担を増やすことはできません

わたしは10月頃から試験勉強をゆっくりとしたペースで始め

3月から資格学校の長期講座に通学します

当時、会社の休みは日曜日しかなかったため、現場にも協力してもらい

土曜日は休みをいただき、学校に通うことにしました

クラスはほとんどが過年度生

初めは食らいついて行こうと思いましたが、次第に過年度生との実力差に心が折れてきます

結局、次第に休むことが多くなり講義の1/3は欠席しました

クラス内の初模試では圧倒的ランクⅣ

先生からは「とにかく授業の復習をしなさい」

と言われて細かい話はされませんでした

7月から日曜日クラスにシフトします

もともと習いたかった先生のクラスです

残り、3ヶ月弱、家族にも協力してもらい、全力を出すことを決意します

試験の2ヶ月前のことです

息子が川崎病になり、妻が付き添い入院

急遽、娘との二人暮らしが始まりました

またしても、なんでこのタイミングで?

気持ちの整理はつきませんが

自分ひとりで生活をまわすための手段を考えました

仕事は、人生はじめての時短勤務

朝は娘を保育園に送り、10時〜16時まで働く

そしてお迎えに行って、明日の準備をして‥

料理を作ることが苦手なので、外食も多くなってしまいました

本当に忙しない毎日でした

当時6歳の娘は寂しがる素振りをあまり見せません

寂しい想いを口にせず、本当に頑張っていたんだと思います

寝る前は手をつないで寝ました

正直、試験を見送ることも考えました

実際、当時は過年度生と比較しても勝てるイメージも湧いていません

合格する想像ができませんでした

でも

娘はこれだけ小さな体で頑張ってる

家族みんなで今この瞬間を頑張ってる

だけど、自分は楽な道を選択していいのか?

受験を先延ばしするという選択肢はありませんでした

やるだけやる

それでダメなら仕方ない

腹を括りました

妻の両親に娘を預かってもらい、日曜日は通学を続けました

宿題のために平日も朝4時から作図しました

できることはやりました

3週間後、無事に息子が退院し日常が戻ります

何気ない生活の大切さを実感します

家族の絆は確実に深まりました

あの時を振り返ると、

娘には余計辛い思いもさせたかもしれない

そう思うこともありますが、勉強を継続してよかったと思います

試験前日に娘が100点シールを貼ってくれました

気を遣ってくれて試験前日は、わたし以外妻の実家で過ごしてくれました

1時間ほどお風呂でリラックスして、今までのことを振り返りました

できることはやった、結果はどうあれ後悔は無い

万全の体制で勝負の日を迎えます

決戦のとき

朝は妻にお願いして、試験会場まで車で送ってもらいました

今まで、本当にありがとうございました!行ってきます!

と感謝を伝え、試験会場へ向かいます

試験の日は、やたらと落ち着いていたと記憶しています

やるべきことはやりきったからか

ダメでも死にはしないと割り切っていたからか

不思議と不安はありませんでした

試験が始まると

プランはシンプルかつ簡単に

高速でエスキスを終わらせるわたしの戦略が活きました

試験会場の中で1番早く作図をはじめます

しかし、作図終盤、管理部門の入口に違和感を覚えました

そこで、思い切って管理部問の大改造

大胆に、1階管理部門を全て消して、通用口の移動と室の入れ替えを行いました

勝者は決して諦めない

この言葉に救われました

試験終了ギリギリまで、チェックし、人生で一番短い6時間半が終わりました

令和6年「大学」は例年でいくと難しい課題だったようです

正直、手応えはゼロでした

駅までの帰り道に食べたKitKatの味がしなかったことは今でも覚えています

試験が終わってからのアドバイス

SNSは見ない方がいいです

嘘か誠かわからない情報が錯綜します

実際に令和6年の試験後も採点に関係ないところで議論が交わされていました

そして、完璧なプランをかけた人しか図面をアップしないので、どんどん自信がなくなります

試験結果発表前に模試で毎回ランクⅠをとるような過年度生に再現図を見てもらったことがあります

正直、落ちたと思った

と言われました

不安な気持ちにもなりますし、結果が気になる気持ちも十二分に理解できます

難しいと思いますが、結果を気にしすぎることがないようにしてほしいです

令和7年に受験した方も、今年も同じようなことが議論されてたよ

と言ってました

結果、採点には全く反映されなかったそうです

合格発表の日

ネットで結果を見るのは恐ろしかったです

合格通知は会社の上司からの電話でした

「結果見てないの?じゃあ自分で確認しろ」

とのことでした

会社のひとたちからお祝いの電話がかかってきて、

普段仕事でこれだけ褒められることはありません

本当に頑張ってきてよかった

と安堵したことを覚えています

一方で

令和6年は合格率が低い年で、SNSで一緒に頑張っていた人の中にも不合格という結果だった方がたくさんいます

中には角番の人もいました

嬉しかったけど、本心で喜べなかったことを覚えています

共に頑張った人たちと、感動を分かち合いたかった

笑ってお互いを褒め称えたかった

試験を終えて、本当にこの資格は残酷だと感じました

人生はいつでもリスタートできる

わたしが一級建築士になったのは40歳です

世間一般的には、決して早いタイミングではないと思います

一級建築士になったことが、長年勤めた会社を退職する後押しになったことは間違いありません

いつでも人生は変えられます

いま挫折している人も、遠回りしている人も大丈夫

わたしは一級建築士を目指して、気づけば20年近く経っていました

それでも、人生はちゃんと動きました

人生で悔いは残りませんか?

あの時、やっておけば

やらない後悔は死ぬ時まで忘れないようです

一度きりの人生、悔いの無いように1日を過ごしましょう

わたしも生涯学び続けます!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ABOUT ME
ひなた
ひなた
一級建築士✖️キャリア再設計
40歳で一級建築士になりました。 限りある時間を「豊かな人生のために使う」ことを目標に、学びと挑戦で自分の人生を取り戻している道なかば。家族全員の心身の全体最適化が直近の課題。好きなことば "自由" "効率化" "他者貢献"
記事URLをコピーしました